名古屋高等裁判所金沢支部 昭和61年(ネ)117号 判決 1988年10月03日
控訴人
志甫彬
控訴人
平井隆
控訴人
大内良太郎
控訴人
蜷川和文
控訴人
平井待子
右控訴人ら訴訟代理人弁護士
葦名元夫
被控訴人
株式会社リコー
右代表者代表取締役
浜田広
右訴訟代理人弁護士
中村三次
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。
2 (主位的請求)
(一) 控訴人らが被控訴人の従業員たる地位を有することを確認する。
(二) 被控訴人は控訴人らに対し、昭和五〇年四月二日以降毎月二五日限り原判決別紙目録(一)の該当給与欄記載の各金員を支払え。
3 (予備的請求)
被控訴人は控訴人らに対し、原判決別紙目録(二)の該当請求金額欄記載の各金員及び同目録の該当内金額(イ)欄記載の各金員に対する昭和五三年九月三〇日から、同目録の該当内金額(ロ)欄記載の各金員に対する昭和五九年一一月一七日から、各支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行の宣言
二 被控訴人
主文同旨
第二当事者の主張
当事者双方の事実上の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示中控訴人らに関する部分のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決五枚目表二行目の「が増加」を「に移行」、同二四枚目裏六行目の「が同一条件」を「の労働条件が同一」、二七枚目表九行目の「不法行為」を「不法行為日」、同一一行目の「請求の」を「請求した」とそれぞれ改める)。
一 控訴人らの主張
1 従来から企業内に労働組合が結成されるや、会社は偽装閉鎖をして組合員を解雇し、その後別会社などを設立し企業の存続を図るといった組合潰しが不当労働行為の一典型として行われてきた。本件もその内容は右のような偽装閉鎖と軌を一にするものであり、被控訴人の行為は労働組合法七条三号所定の支配介入を伴った不当労働行為であり、本件解雇は不法行為を構成する。しかも被控訴人はホクヨー商事を実質的に支配していたのであるから、信義則上その倒産を予防して控訴人らの雇用関係を維持すべき解雇回避努力義務が存在し、かつ予見できたのに、これを怠りその倒産を容認した。よって、被控訴人は、不法行為による損害賠償義務があるので、控訴人らは予備的に不法行為に基づく損害賠償請求をする。
すなわち、昭和四二年四月被控訴人を退職した福村彰夫が富山でリコー商品の販売会社(フクムラリコピー)を設立したが、経営状況が思わしくなかったことを機に、昭和四七年二月、被控訴人は同社に五〇〇万円の融資を行うとともに、大株主(五一パーセント保有)として資本参加し、当時被控訴人名古屋支店次長であった鴨打邦行を社長として送り込み、被控訴人富山営業所と併合して経営を掌握し、その後同年一〇月富山リコーと商号変更し、株式も六六・五パーセント保有するに至り、リコー系列の重要会社として位置づけ、利益還元、派遣社員の送り込み等の大きな援助をつづけ、富山県内における販売体制の整備を図った。しかし、富山県に比較して販売体制が弱体であった石川県の販売強化のため、被控訴人は、同社金沢営業所内に北陸リコーの金沢支店を置いて販売網の整備を行い、昭和四九年一一月一日にその体制を完成した。
ところが、それから約二か月後の同年一二月二二日、控訴人らが北陸リコー富山本店内に労組を結成してその通告をするや、被控訴人はこれを壊滅させるために、同月二三日から翌五〇年一月五日にわたり数回きくや旅館で被控訴人名古屋支店長らと鴨打社長らの間で謀議をし、組合員のいない金沢支店を北陸リコーより切り離し、同金沢支店を翌五〇年一月六日に廃止させ、同月一〇日に石川リコー有限会社を設立して北陸リコー金沢支店の業務並びに従業員を同社に承継させ、他方、昭和四九年一二月末日、被控訴人名古屋支店から同社に在籍のまま派遣されていた鴨打社長を同社から退社させ、翌年一月三日、被控訴人保有の株式全部を鴨打社長に売却するなど切り離し撤退の諸方策を実施し、同月二八日には被控訴人の支配を隠蔽するため総合商社化と称して北陸リコーの商号をホクヨー商事に変更させ、被控訴人の派遣社員を引き上げ、「歩引」などの援助の停止、販売指導の放棄などで被控訴人の援助と指導によってしか成立しないホクヨー商事の経営基盤を混乱、崩壊させ、希望退職と称してベテラン社員の退職を勧奨し、昭和五〇年三月末段階でホクヨー商事に残った者は、鴨打社長と魚津営業所長を除いては組合員二〇名余だけという異常事態に陥れ、同年四月一日には、被控訴人の社員山下忠男をして、被控訴人宛の手形の支払延期要請を拒否させ、もって、同年四月二日、ホクヨー商事を倒産に追い込み、同日、控訴人らを含む組合員二〇余名を解雇させて、その目的を達成したものである。被控訴人は、同年一月上旬に北陸リコー金沢支店の切り離し計画を実行した段階で右の事態を予見していたものである。
2 被控訴人がホクヨー商事に支配力を持っていたこと、ホクヨー商事の倒産は、被控訴人が計画した偽装倒産であることは、次の事情から明らかである。
(一) 被控訴人の労務政策は、一貫して労働組合を認めないことであり、現に被控訴人内には当時も現在も労働組合は存在していない。鴨打社長は、この被控訴人の労務政策を知悉していたからこそ、労組の結成を晴天の霹靂のごとく驚き、「飼い犬に手を噛まれた」「組合は絶対に認めない」などと発言していた。
また、全国的視野からみても被控訴人の労働組合に対する敵視は明らかであり、昭和五五年ころ佐賀県のリコー計器において全国一般労働組合が結成されたときも、被控訴人からの組織破壊攻撃を受け脱退した例がある。
(二) 労組結成直後「きくや旅館」で被控訴人が偽装倒産計画を円滑に実行するために、被控訴人と鴨打社長らとの間で謀議を行っている。当時被控訴人名古屋支店長豊田滋穂・同次長山下忠男ら一〇名余が販売応援と称して北陸リコーに来社していたことからも右謀議は明らかである。
(三) 北陸リコー金沢支店の切り離しについて、被控訴人は、「景気の急速な冷え込みによる異常事態と判断し、縮小均衡に転ずることとした」ためであると主張している。
しかし、労組結成まで北陸リコーの拡大政策は微動だにしておらず、労組結成直後も鴨打社長は金沢支店を切り離す意思は全くなく、多くの企業において第二次石油ショックの影響があったにもかかわらず、同社長は「この時こそリコーの飛躍するチャンス」として一貫して拡大政策を唱えていたものであり、切り離しの必要性は全くなかった。このことは北陸リコー金沢支店を切り離した後、同支店従業員が二名を除き新しく設立された石川リコー販売有限会社に継続雇用され、被控訴人から二〇〇〇万円の融資及び一〇〇万円の資本金を与えられ、社長にも被控訴人の社員である菅野嗣孝が就任し、後に株式会社に組織変更し、被控訴人金沢営業所と同一場所に同居するなど、被控訴人による発展育成がなされていることからも明らかである。
(四) 鴨打社長は、被控訴人からの退職について「かねてより希望のオーナー社長として専念するため」であるとのべている。しかし、鴨打社長は、家族を名古屋に残しての単身赴任であり、富山に住み着いてオーナー社長として会社を経営する覚悟は毛頭なかったし、日頃から「いずれ自分はリコーに戻らねばならない」と従業員に公言しつつ、「次の社長がいつリコーから来てもいいように立派な会社にしなければ」と近いうちの転勤すらも示唆していた。しかも鴨打社長は、被控訴人名古屋支店次長として要職にあった昭和四七年二月、富山県内の被控訴人の販売体制立て直しのため、被控訴人在籍のまま富山リコピーに派遣されたものであり、当然被控訴人側にたつ幹部社員であり、その証言は疑わしい。
(五) 昭和五〇年二月一二日、北陸リコーから売掛代金一億五〇〇〇万円余の債権を被控訴人に譲渡する旨の契約をしているが、このような何らの見返りのない一方的で不利な、商慣習上不自然な契約がなされることは通常ありえない。右債権譲渡契約は、偽装倒産を予見した被控訴人の債権確保と考える以外に理解できない。しかも、同年四月四日には約七〇〇通の債権譲渡通知書がホクヨー商事から債権者に発送されているが、倒産後わずか二日で準備することは不可能であり、被控訴人が予め右通知書を作成していたこと、すなわち右契約を締結したころから被控訴人はホクヨー商事の倒産を予見し、債権確保の準備を着々と進めていたことを物語っている。
(六) 昭和四九年一一月一日、富山リコーから北陸リコーへ被控訴人の意見及び指揮によって商号変更をし、更に、労組結成後、他社メーカーからの仕入れも困難であるため、北陸リコーの商号を変更すると称して、ホクヨー商事へと商号を変更した。
しかし、この三か月という短期間に二度も商号を変更するというのは変則的である。これは、労組の結成を契機にした被控訴人の介在なしには考えられない。被控訴人は右商号変更は、鴨打個人の自己判断によると主張するが、ホクヨー商事名の封筒・伝票も用意されず、リコー製品以外の販売についても、販売ルートの確立はもとより、何らの準備もなされていなかった。このことは、右商号変更が鴨打社長の計画に基づくものではなく、不当労働行為を隠蔽しようとする被控訴人の必要性から決定されたことを裏付けているものというべきである。
(七) 北陸リコーの販売価格の決定について、被控訴人は、特価申請は被控訴人製品を取り扱う販売店に一般的に認められていたものであり、その申請は販売店の自由裁量に委ねられていた旨主張しているが、北陸リコー以外の一般販売店における特価申請は、例外的に認められていたに過ぎず、例外的な場合でも必ず北陸リコーを経由して被控訴人の決裁を受けていた。また、特価申請が自由裁量に委ねられていたとする主張は一般的な商取引の実体を無視するものである。
(八) 被控訴人は、倒産直前の昭和五〇年三月二七日に中日本事務機販売を富山県に進出させ、リコー商品の案内や販売を開始させるなど富山県内での被控訴人の販売網を引き継がせ、また被控訴人は、ホクヨー商事倒産直前に退職させていた管理職・非組合員らを集めて富山事務機販売を設立し営業を開始させた。しかも右管理職らはホクヨー商事の顧客リストや商品説明書等を会社から持ち出し、被控訴人に引き継いだのである。
このように、被控訴人は、富山県内における販売網は中日本事務機に、旧従業員は富山事務機へと分散して引き継ぎ、偽装解散した会社とその後の存続会社との連続性と同一性が認定されないように操作しているが、実質的に連続していることは明らかである。
(九) ホクヨー商事倒産から六か月後の昭和五〇年一〇月ころ被控訴人から旧ホクヨー商事の組合員に対して平均賃金の六か月分の金銭が支払われた。これにより組合組織の団結は大きく乱れ、約一〇名の組合員が脱退した。さらに被控訴人は福村彰夫に対しても昭和六二年七月三〇日ころリコーサービス株式会社を通じて一四〇〇万円が支払われた疑いが濃厚である。被控訴人がホクヨー商事の倒産後が(ママ)このような悪質な工作を行っていることは、不当労働行為を窺わせる徴表として重要である。
二 被控訴人の主張
1 控訴人らの前記主張は全て争う。
2(一) 控訴人らは、被控訴人がホクヨー商事を倒産に追い込み、あるいはこれを予見しながらその結果を容認していたとして、同社の倒産による控訴人らの解雇によって生じた損害を賠償すべき義務があると主張するが、被控訴人がホクヨー商事を完全に支配していた事実、あるいは被控訴人がホクヨー商事を経営していた事実はなく、さらにホクヨー商事が倒産したのは、その営業成績不振による必然的、不可避的なものであり、倒産、解雇に被控訴人の意図、意思が働いたことはなく、支配、介入もなかったから故意責任は勿論否定されるべきである。また、経営、支配をしていない被控訴人に倒産、解雇回避義務が存在するはずがないから、その懈怠を理由とする過失責任も当然否定されるべきである。
(二) 控訴人らは、ホクヨー商事の倒産は偽装であるというが、きくや旅館での謀議なるものはなく、金沢支店廃止は景気の急速な冷え込みが原因であり、鴨打社長の片言半句を問題にすべきでない。商号変更については、ホクヨー商事独自の判断に基づく行為であり、社名に「リコー」が入る以上名板貸しになるので被控訴人に承諾を求めたに過ぎない。債権譲渡というが、そのときは、債権確認と期限喪失約束であり、販売網の引き継ぎについても、中日本事務機株式会社はリコー製品を扱っている販売店の一つに過ぎず、被控訴人は同社に対し資本参加、取締役の派遣等一切しておらず、資本、人事の両面にわたって全く無関係であり、同社に対し指示をなしうる立場にもなく、出店の強制などなしうるはずもなかった。また、富山事務機販売株式会社についても、ホクヨー商事倒産後、旧社員が生活のために相集まって自分たちの販売技術を元手に設立したものであり、その段階で被控訴人に相談したこともなければ、資本の援助を受けたこともなく、人的、資本的に全く被控訴人と関係なく、取扱商品中リコー製品のウェイトもそれほど高くはない。
第三証拠(略)
理由
一 当裁判所も控訴人らの請求はいずれも理由がなく、棄却すべきものと判断するところ、その理由は以下のとおり付加・訂正するほか、原判決理由説示中控訴人らに関する部分のとおりであるから、これをここに引用する。当審における控訴人志甫本人尋問の結果は原判決挙示の各証拠に照らして採用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
1 原判決三二枚目表三行目の「甲第四八号証、」を削り、同四行目の「証人」の前に「原審における控訴人平井隆本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一三〇号証、」、同七行目の「甲」の次に「第四八号証、」を加える。
2 同三二枚目裏八行目の次に「なお、ホクヨー商事は、新聞広告等により従業員を募集し、鴨打社長や担当部長が面接する等して採用を決定しており、被控訴人が従業員の採用に関与していたことを認めるべき証拠はない。また、右就業規則は、昭和四四年九月から施行されていた規則を変更したものであるが、右改正手続は、鴨打社長の指示で管理職一名と従業員三名(内女子一名)で就業規則改正委員会を構成し、同委員会の作成した草案について従業員の意見を聞いたうえで制定されたものであり、従業員の配置、給与、人事考課等は右就業規則等に基づき、鴨打社長が部長等管理職と相談して決定していたことが認められ、右制定過程や従業員に対する労務関係について被控訴人が関与したことを窺わせる証拠はない。」を加える。
3 同三三枚目表五行目の「証人」の前に「成立に争いがなく、弁論の全趣旨により原本の存在が認められる甲第六六号証、」を加え、同一〇行目の「九月ごろ」を「一〇月一日、リコー製品を販売していた堀江商会及び越川カメラ店(魚津)の事務機部門を吸収し」と改め、同一一行目の「富山リコピー」の次に「(取締役は、福村社長とその父福村吉四郎と越川カメラ店を経営していた越川清衛)」を加える。
4 同三四枚目裏六行目の「弁論の全趣旨」の前「原審証人鴨打邦行の証言により真正に成立したものと認める同号証のNo6、」を加え、同三六枚目裏七行目の「加藤部長のみ」を「加藤部長がホクヨー商事従業員打尾敦子の補助のもとに一人」と改める。
5 同三九枚目表一〇行目の「富山リコーは」を「鴨打社長は、富山での業績をさらに拡大するためには、主要事業所の本店の多くが置かれている金沢に進出する必要があると考え」と改め、同裏一〇行目の「右増資計画」の前に「被控訴人(本社)はリコーの名称を冠した社名変更については承諾したものの、被控訴人割当による増資は資金を固定することになるし、当時の富山リコーの業績からみて独自の借入により賄えると判断されたため、」を加え、同末行の「リコピー」を「リコー」と改め、同四〇枚目初行の「変更し」を「変更したが、増資は諦め、独自に資金調達を図り、」と改める。
6 同四一枚目表九行目の「七二号証の一、」の次に「原本の存在及び成立に争いのない甲第四〇号証、」、同四四枚目裏四・五行目の「右有限会社は」の次に「、ホクヨー商事が金沢支店設置を計画する以前から石川県における販売体制の整備のために被控訴人の全額出資による販売会社の設立を計画していた被控訴人が、短期間ながら金沢支店により販売活動が行われた後に急遽廃止されるに至ったため、石川県下におけるリコー製品のユーザーに対する責任と市場保持のために全額出資により金沢支店と同一場所でその設備等を承継して設立したものであり、代表取締役をはじめ全役員は被控訴人の社員が就任し、」を加える。
7 同四五枚目裏九行目の「懲戒処分もしたこと、」の次に「このような状況を反映して、ホクヨー商事の収益に直結する直売を担当している販売員の活動が停滞し、ユーザーからの苦情や不信の表明も相次ぎ、セールス活動をしても注文が全く得られない社員が多くなっていったこと、」を加える。
8 同四六枚目裏一〇行目の「乙イ」の次に「第二四号証、」を、同四七枚目裏七行目の「確認し」の前に「負担していることを」を加え、同行の「弁済方法を約定の」を「これを約束手形の支払期日に合わせ、昭和五〇年二月二八日三一一万〇三三〇円、同年三月二日二七二七万二六四四円、同月四日一〇九五万六〇四七円、同月三一日四一八万九九一四円、同年四月二日二七五四万八七六四円、同月四日九六三万七一六八円、同年五月二日二一七一万一八三三円、同月四日一九〇万二二二九円、同年六月二日二五九三万六八六二円、同年七月二日一七七五万九二八一円に分割して支払うこととし、手形が不渡りになった場合は弁済期限の利益を失う旨の手形債務弁済」と改め、同四八枚目表二行目の「図ったが、」を「図り、売れ行き不振により過剰在庫となった商品を被控訴人に引き取ってもらうなどの処置を取ったが、」と改め、同末行の「希望退職者」の前に「今後予想される販売見込みと社員一人当たりの経費等から割り出した損益分析に基づき」を、同裏一〇行目の「これを拒否され」の前に「労組の対決姿勢により職場における人間関係が極めて悪化していたうえに業績の向上を期待できる状況にないことから」を、同四九枚目裏二行目の「約束手形」の次に「(額面合計二七五四万八七六四円)」を加える。
9 同五二枚目裏五行目の「ホクヨー商事は」の次に「感光紙等の消耗品につき」を、同八行目の「これに基づき」を「複写機等の機械類については」と改め、同五三枚目表七行目の「値引」の次に「(ただし、昭和四九年一〇月ころまでであり、その後は納入単価を下げ、歩引制度は廃止された)」を加え、同裏四・五行目の「弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証」を削る。
10 同五四枚目表六行目の「原本の存在と成立に争いのない甲第一二八号証、」を削り、同五四枚目裏一〇行目の「そして」の前に「加藤部長は右事務のうち、被控訴人が販売した商品代金をホクヨー商事から受領した際に発行する領収書の作成や右代金の送金事務等、月に数時間で処理できる程度の事務につき、ホクヨー商事社員の打尾敦子の補助を受けていたこと」を加え、同五五枚目表三行目の「原告」を「原告ら」と改める。
11 同六一枚目表初行の「昭和五〇年」を「昭和四九年」と改める。
二1 以上認定事実によると、控訴人大内良太郎、同志甫彬は、富山リコピー販売株式会社に、その余の控訴人らは、右会社が商号変更した富山リコー販売株式会社に入社したものであって、右会社はいずれもホクヨー商事株式会社の商号変更前の会社であることが認められる。すると、控訴人らは、右会社と雇用契約を締結したというべく、被控訴人会社との間に、暗黙にも雇用契約が成立したことを認めるに足る証拠はない。
2 控訴人らは、控訴人らと被控訴人会社との間に使用従属関係があったと主張するが、前認定のとおり、控訴人らは、ホクヨー商事と雇用関係にあり、被控訴人会社が控訴人らを直接指揮監督していたことを認めるに足る証拠はないから、両者間に使用従属関係があったとはいえず、右主張は理由がない。
3 また上記認定によると、ホクヨー商事と被控訴人会社とは別法人であって、それぞれ、別個に組織、運営されていたことが認められ、被控訴人会社がホクヨー商事の法人格を濫用したことを認めるに足る証拠はないから、この点の主張も理由がない。
三 控訴人らは、被控訴人がホクヨー商事に対してなした一連の働きかけ、干渉行為は、労働組合法七条三号の支配介入であり、控訴人がホクヨー商事から解雇されたことは、被控訴人の同法七条一号の不利益取扱いであって、不当労働行為であり、不法行為(故意)にあたると主張する。
しかし、被控訴人は、系列上位の会社として、ホクヨー商事と取引をし、求められて経営に関し意見をのべ、人材を派遣し、営業資金を融通したに過ぎず、控訴人らの労働組合に対する支配介入をしたとは認められず、また、ホクヨー商事は、売上高減少により経営不振に陥り、倒産したため、控訴人らは、ホクヨー商事から解雇されたと認められるのであって、解雇理由があり、被控訴人が不当労働行為として、控訴人らを解雇したとは認められない。
四 控訴人らは、被控訴人がホクヨー商事を偽装倒産させたとし、それを裏付ける種々の事実があると主張するので以下判断する。
1 被控訴人はホクヨー商事を被控訴人の販売部門に組込んだとの主張について
(一) (証拠略)によれば、被控訴人は昭和四〇年に無配転落した際、合理化委員会を設置するなどして再建に努力し、再建の最重要課題として、販売を基本に置き、流通機構の整備、販売会社の育成強化をはかり、販売会社に対する直接指導や一部には資本参加をして、いわば血のつながりを濃くすることで健全な経営体質へと導いて行くという施策を展開したこと、そして、このような基本政策のもとに、販売会社の育成強化をはかったため、その後次第に被控訴人から派遣された社員が代表取締役に就任した販売会社が増加していったこと、富山県でも同様の政策が展開されて行ったが、石川県では、既存の販売会社である理光商事株式会社が被控訴人の系列店化及び資本参加を承認せず、前記政策を受け入れなかったことから、被控訴人が全額出資し、役員も全員派遣して別会社を設立することを計画していたことが認められる。
(二) 以上の事実によると、被控訴人の富山県内の販売会社である富山リコピーに対する社員派遣、販売指導・応援、販売情報の提供、被控訴人の費用負担による展示会の開催、各種研修会への講師派遣・参加要請、新入社員教育の実施等、販売会社の社員の能力向上のための諸施策、歩引、特価申請による納入価格の値引等による販売拡大奨励策、経営計画書・決算関係書類・経営概況報告書・月次報告書等の提出の要請等一連の行動は、被控訴人の販売会社育成強化という基本政策に基づくものと認められる。
(三) ところで、製造業を主要業務とする会社が、その業績を向上させるために、傘下の独立の販売会社に資本参加したり、社員を派遣してその育成強化を目指すことは、製造会社と販売会社が共存共栄を図るための一方法であって、それ自体は何ら違法・不当なものではなく、身売りとか吸収とかの表現でこれを不当視するのは相当ではない。
そして、前認定(原判決)によると、本件では、富山リコピーが被控訴人の資本参加、社員派遣を受け入れたのは、業績が低迷し、資金援助を受ける必要があったことからやむを得ない選択であって、最終的には当時の富山リコピーの経営陣の判断によるものであり、その後の推移も不当とはいえず、また被控訴人の強制によるものとは認められない。
すると、控訴人らの不当労働行為の準備行為としてのホクヨー商事不当組込み行為があった旨の主張は理由がない。
2 きくや謀議について
(一) (証拠略)によれば、昭和四九年一二月二三日から同月二六日まで毎日一三名ないし一六名がきくや旅館で飲食をし、その費用を北陸リコーが支払っていることが認められ、また、(証拠略)原審証人鴨打邦行、同豊田滋穂、同山下忠男、同加藤卓の各証言によれば、右期間中に被控訴人名古屋支店の支店長豊田滋穂と同支店次長山下忠男他四名の社員が北陸リコー富山本店に来社していたことが認められる。
(二) しかし、(証拠略)によれば、当時ホクヨー商事には係長以上の管理職は二一名いたことが認められ、(証拠略)原審証人鴨打邦行、当審証人山下忠男の各証言によれば、きくや旅館における会議は、ホクヨー商事の管理職が集まり、労組結成の事情等について意見交換を行い、労組に対する対策を協議したものであることが認められ、控訴人らが主張するように、被控訴人名古屋支店長、同次長とホクヨー商事の管理職らが金沢支店の切り離しや偽装倒産による労組の壊滅を協議したような状況は全く窺われず、そもそも、当時富山に販売応援等のために来ていた被控訴人の社員が右会議に参加したことも認められない。
(三) (証拠略)及び当審における控訴人志甫本人尋問の結果は右各証拠に照らして採用できず、他に控訴人らの右主張を認めるに足る証拠はない。すると、右謀議の主張は理由がない。
3 鴨打社長の被控訴人からの退社について
控訴人らは、鴨打社長は富山に住み着いてオーナー社長としてホクヨー商事を経営していく意思はなかったと主張するところ、(証拠略)によれば、鴨打社長は家族を名古屋市に置き、単身で富山に赴任していたこと、その家族はホクヨー商事倒産直前の昭和五〇年四月一日付で福岡市に転出していることが認められるが、鴨打社長は昭和四七年一月に富山リコピーの代表取締役に就任以来三年余にわたって富山に在住し、同社の発展に貢献してきたのであって、単身赴任であったことからオーナー社長としてホクヨー商事を経営していく意思がなかったということはできず、家族が倒産直前に福岡市に転出したこともどのような事情があったか不明であり、これをもって控訴人らの主張の裏付けとなるものとは言い難く、また、鴨打社長が被控訴人に対し被控訴人会社の退職願を提出したのは労組結成前の昭和四九年一二月八日であることからすれば、鴨打社長は以前から派遣社員としてではなく、オーナー社長としてホクヨー商事を経営していく意図を持っていたものと推認するのが相当である。
すると、鴨打社長退社を偽装倒産の一段階とみる控訴人らの主張は採用できない。
4 金沢支店の廃止について
(証拠略)によれば、鴨打社長が金沢支店の廃止を決意したのは、同支店における将来の展望がなかったことによるものではなく、商号変更並びに増資計画目論見書(甲第六六号証)によっても、設置当初には赤字が出ることも予想されていたことではあるが、被控訴人引き受けによる増資ではなく、銀行借入により開設するに至っていたところ、景気の急速な冷え込みのため、富山本店の業績が悪化し、その向上が見込めない情勢にあると判断したことと、労組の結成により団体交渉等のため金沢支店に全力投球できない状況が生じたこと、直ちに利益を生ずることがないのに当面投資を継続しなければならないこと、投下資本を早急に回収して富山本店の運転資金に充てる必要があること等を総合判断した結果であることが認められる。すると、金沢支店の廃止がホクヨー商事偽装倒産の準備行為的意味をもつものであって、被控訴人がこれを計画・強制したと認めるに足る証拠はない。(証拠略)は採用できない。
したがって、控訴人らの右主張も採用できない。
5 ホクヨー商事への商号変更について
(一) 控訴人らは、被控訴人の意見及び指揮によって、富山リコーから北陸リコーへの商号変更を余儀なくされたと主張するが、先に認定(原判決)したように、北陸リコーへの商号変更は鴨打社長が石川県にも販路を拡大するために企図したものであり、リコーの名称を冠する商号に変更するために被控訴人の承諾を求めたに過ぎず、右商号変更が被控訴人の意見と指揮・介在によってなされたとは認められない。
(二) 控訴人らは、三か月間に二度の商号変更は変則的であり、北陸リコーの偽装倒産を隠蔽するためになされたものであると主張する。確かに、ホクヨー商事に商号を変更するについて十分な準備行為がなされていたと認めるに足りる証拠はなく、北陸リコーの商号での経営を続けることもでき、或いは、他社製品の販売の準備を尽くし、実績を積んでから商号変更をすることも可能であったかも知れない。しかし、業績の悪化を克服しうる目途もなく、労使の対立から販売活動が極めて低迷している状況のもとで、業績をいくらかでも拡大するために、得意先が必要とする事務用品をすべて取り扱いたい、そのためには特定メーカーの名称を冠した商号を使用するのは得策でないとの鴨打社長の独自の判断のもとに、臨時株主総会により検討された結果、商号変更を決定したものであって、その後被控訴人との関係が特に悪化したり、リコー製品の販売に支障・混乱が生じたわけでもなく、当時同社の置かれた状況に照らせば、右商号変更が特に不自然であるとはいえない。
控訴人らの右主張も採用できない。
6 債権譲渡について
(一) 控訴人らは、ホクヨー商事に商号が変更された直後の昭和五〇年二月一二日に何らの見返りもなく一億五〇〇〇万円余の債権がホクヨー商事から被控訴人に譲渡さたものであり、これは偽装倒産を予見した被控訴人の債権確保手段であると主張するが、右時点で債権譲渡契約が締結されたとの事実を認めるに足る証拠はなく、(証拠略)によると、同日、手形債務の履行について公正証書が作成され、手形債務額の確認と、期限の利益喪失の約束がなされ、その際、右手形債務の履行ができなくなったときには、ホクヨー商事の売掛債権を譲渡する旨の予約がなされただけであり、債権譲渡契約が締結されたのは同年四月三日であることが認められる。なお、債務の支払いのために自己の債権を譲渡することは何ら見返りのない不利益な行為とは言い難く、また、その当時のホクヨー商事の経営状態からして、被控訴人が右のような契約を締結したのは債権者としてはむしろ当然の行為であって、偽装倒産を企画或いは予見した行為ということはできず、控訴人らの右主張は採用できない。
(二) また、控訴人らは、倒産後わずか二日で債権譲渡通知書を発送することは不可能であり、被控訴人はホクヨー商事の倒産を予見し、債権確保の準備を進めていたと主張する。しかし、(証拠略)によれば、昭和五〇年四月二日にホクヨー商事が不渡りを出した後、鴨打社長からの連絡で翌日小松で同社長と会い、ホクヨー商事の売掛債権六一〇〇万円の譲渡の申し出を受け、債務者の名簿の提示を受け、同行していた被控訴人名古屋支店の社員と金沢営業所の社員の協力を得て、徹夜作業で数百通(各三部作成するためその三倍)の債権譲渡通知書を作成したこと、当初、同日中に作業が完成する見通しが明確でなかったため、日付欄を空白にしていたが、四日に発送できる見通しが立った段階で四月四日の日付を入れてコピーをし、空白にしていたものについてはカーボン紙で書き入れたことが認められる。なお、(証拠略)の二によれば、債権譲渡通知を受けた富山大学経理部から昭和五〇年一月二四日と同年三月二八日に支払済みである旨の回答がなされていることが認められるが、当時の混乱状態からすれば、鴨打社長が被控訴人に交付した債務者名簿に一部不正確な部分があったとしても、これにより一月以前に債権譲渡通知が作成されていたと認めるには不十分である。控訴人らの右主張は採用できない。
7 価格決定等による販売会社の支配について
控訴人らは、被控訴人は独占的に商品を供給する立場を利用して、ホクヨー商事の販売するリコー製品の価格を決定するなどして支配力を行使していたと主張する。しかし、被控訴人がホクヨー商事の販売する商品の価格を決定していたことは認めるに足りる証拠はなく、控訴人らが価格決定をしていたことの一事例としてあげる特価申請は、(証拠略)によれば、リコー製品については、競合するメーカーが多いため、場合によって被控訴人が卸価格を下回ったり、ほとんど利潤のない価格で販売する必要が生ずることがあり、そのような特価販売をしたときは、販売店が実情と必要性等を記載した特価申請書を提出すれば、被控訴人において審査をし理由があると認めた場合に卸価格を値引きしていたものであり、リコーの名称を冠する販売店だけでなく、リコー製品を販売する業者について一般的に認められていた制度であって、ホクヨー商事が特価申請をしていたのは総販売量の二パーセント程度に過ぎず、販路拡大のために販売店の損失を軽減する措置であり、販売店に申請を強制する性質のものでもなく、これをもって被控訴人が価格決定をしていたとは到底言い難く、(証拠略)は採用できない。控訴人らの右主張は理由がない。
8 控訴人らは、ホクヨー商事の売上高が減少したのは、被控訴人が派遣社員を引き上げ、歩引などの援助を停止し、販売指導を放棄したからであると主張する。
しかし、原審証人加藤卓の証言によると、被控訴人は、加藤卓、津崎成幸をホクヨー商事の鴨打社長の要請で同社に派遣していたが、昭和五〇年二月同鴨打社長の要請で派遣を解かれ、被控訴人へ復帰したことが認められ、被控訴人の意図の下に派遣や復帰が行われたものとは認められず、また(証拠略)によれば、被控訴人がホクヨー商事に対し適用していた歩引を廃止したのは昭和四九年一〇月のことで、事業部制定着に伴い、効果が期待できないとの判断に基づくものであり、しかも、全国一般北陸リコー支部労組結成前であることが明らかであるから、違法であるとか、不当労働行為であるということはできず、また被控訴人が組合結成後、ホクヨー商事の販売指導を、そのころ放棄したことを認めるに足る証拠はない。
そして、そもそも、契約上の義務に属せず、取引関係にあるために受けていたに過ぎない好意ないしは恩恵・援助を同社の都合で一方的に廃止されたところで、これまで恩恵を受けていた当事者はその廃止が不当であると争うことはできない。
控訴人らの主張は採用できない。
9 第二会社について
(一) 控訴人らは、被控訴人において中日本事務機販売を富山県に進出させ、富山事務機販売を設立したのは、偽装倒産後の第二会社を準備したものであると主張する。
(二) (証拠略)によれば、中日本事務機販売株式会社は、福井事務機を退職した竹内喜太郎、木下龍雄、小柳正信、長谷川俊紀の四名が昭和四二年に名古屋市において設立した事務機の販売及び修理を目的とする会社であり、将来各自が独立して営業する希望を有していたところ、まず小柳が独立し、次いで長谷川が独立するため昭和四九年ころから富山進出を計画し、昭和五〇年三月末ころ、富山営業所を設置して同人がその営業所長となり、五名の社員の募集をし、その後富山県内でリコー製品等の販売活動をしていることが認められるが、ホクヨー商事とはその営業規模が全く異なり、富山県内での被控訴人の販売網を引き継がせられるようなものではない。また、右各証拠によれば、昭和四九年一一月三〇日から昭和五〇年三月一日まで被控訴人名古屋支店管理課長の石井真一が監査役に就任していたことはあるが、被控訴人が資本参加したり、社員を派遣していた会社ではないことが認められ、被控訴人社員が一時期監査役に就任していたことがあるだけでは、被控訴人が同社に対し富山進出を指示できるとは考えられず、これをもってホクヨー商事の倒産を画策した根拠となるものとは到底言い難い。控訴人らの主張は採用できない。
(三) また、(証拠略)によれば、富山事務機販売株式会社は、ホクヨー商事が倒産した後の昭和五〇年五月一六日ころ、希望退職に応じてホクヨー商事を退職した管理職らのうち適当な再就職先もなかった元管理部長小杉正男ら数名が、生活のためには永年培った事務機販売の経験を活かしていくのが最上であるとの判断のもとに、右小杉が資本金一〇〇万円のうち七〇パーセントを出資して設立した事務機、教育機器の販売、経営システムのコンサルティングを目的とする会社であり、特定メーカーの系列に入ることなく、各社の事務機(リコー製品は取扱高の約半分)を取り扱っていること、昭和五〇年七月段階で従業員は一一名(希望退職した者は組合員を除いても三〇名である)であり、すべて元ホクヨー商事の社員であることが認められるが、同会社の設立に被控訴人が関与していたことを認めるに足りる証拠はなく、また、同会社の設立の経緯、目的、規模から考えても同社がホクヨー商事を倒産させた後の管理職や非組合員の受け皿として設立されたものとは到底考えられない。すると、右各会社は、第二会社とはいえず、控訴人らの右主張も採用できない。
10 被控訴人の労務政策について
控訴人らは、被控訴人の労務政策は一貫して労働組合を認めないことであり、労働組合に対する敵視政策をとっていると主張するところ、(証拠略)によれば、被控訴人は三愛主義(人を愛し、国を愛し、勤めを愛する)を社是とし、一部上場会社であるが、労働組合がないことで知られていることが認められる。しかし、被控訴人が労働組合に対し敵視政策を取っていると認めるべき証拠はない。控訴人らは、昭和五五年に佐賀県のリコー計器株式会社で労働組合が結成され、総評全国一般労働組合佐賀地方本部に加盟したが、その後これを脱退したことをもって被控訴人の労務政策が現れていると主張するが、(証拠略)によれば、同組合の運営方針の変更に伴い、決議機関である臨時総会において右佐賀地本を脱退したことが認められ、被控訴人が右脱退に関与していることを認めるに足る証拠はない。(証拠略)も控訴人らの右主張を裏付けるものではない。控訴人らの右主張は理由がない。
11 被控訴人の組合工作について
控訴人らは、ホクヨー商事倒産後、被控訴人が組合員に対し金銭を渡して脱退工作をしたと主張するが、(証拠略)はいずれも伝聞したことを記載したものであり、金銭授受の日時場所や授受の当事者につき具体性もなく、たやすく採用しがたいものであり、(証拠略)に照らして採用できず、他に控訴人らの右主張事実を認めるに足る証拠はない。
五 控訴人らは、ホクヨー商事が偽装ではなく真実倒産したとしても、被控訴人に倒産を予防し、解雇を回避すべき信義則上の義務があったと主張する。
そして、前認定によると、被控訴人とホクヨー商事とは、被控訴人の製造する商品をホクヨー商事が買受け、消費者に販売する系列関係にあったことが認められるところ、被控訴人は取引当事者として、取引にあたり、法令を守り、信義則に従う義務があったというべきであるが、本件において、被控訴人がこのような、一般的な義務に反していたことを認めるに足る証拠はない。
そして、前認定によると、被控訴人は、ホクヨー商事とは別法人であり、被控訴人がホクヨー商事を実質的に支配していたことを認めるに足る証拠はないから、あたかも自己支店の如く自社資金をもってしても、ホクヨー商事の倒産を予防する義務まであったとはいえず、本件特有の諸事情を総合しても、被控訴人にホクヨー商事の倒産を防止する信義則上の義務があったとはいえない。
もっとも、被控訴人が倒産の原因を作った場合であって、倒産回避がきわめて容易であり、かつ被控訴人においてその回避方法を知りうべきであったなど特段の事情があれば、人格を異にしていても、被控訴人に倒産防止義務を肯定することができると解する余地もあるが、本件では、ホクヨー商事の倒産の原因は、前認定のとおりであって、被控訴人が作ったとはいえないから、被控訴人に、取引の当事者であるというだけで、相手会社の倒産防止義務を認めることは相当でない。
控訴人らの主張は理由がない。
六 よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 井垣敏生 裁判官 紙浦健二)